猫の…

思い出の猫SF小説がある。題名は忘れたが、確かSFマガジンに載った短編で、いわいるミュータント猫の物語だった。といっても短編なので、大したことが起こるわけではない。何かの偶然で人間の天才レベルの頭脳(IQ150以上)とテレポーティションやテレキネシスなどの超能力を生まれ持った子猫が、いかにこの世界に対していくかという話だった。

ずいぶん古い話で、SFというと宇宙船やロボットが主流(というほどでもないけど)だった時代だと思う。ただ一方で「シリウス」や「アトムの子ら」といった情緒的な雰囲気のSFも出てきていたので、こういうのもアリかな? と思って読んだものだった。いや~、今のライトノベルで育った若い人たちには想像もつかないだろうけど、昔のSFってブンガクだったんだよなあ。

その猫SFだが、「猫から観た世界」というものを主眼にしていた。しかも、前述のように「人間並以上の知能や超能力を持った、しかし身体も心も子猫、という設定でである。人間が猫になるのではなくて、猫が猫なりの状況でどういう風に世界を認識するのか、ということだ。もちろんシミュレーションだから、本当にそうかどうかは判りようがないし、そもそも超能力を持った天才猫という設定自体思考実験にすぎないから、まあ戯れ言だなあ。

細かいところは忘れたが、その主人公猫は自分についてこう認識する。自分は猫であり、周りにいっぱいいる猫と同じ種族だが、実は猫は進化(?)する。変態といってもいいのだが、つまり猫はあるきっかけで超猫ともいうべきものに変化し、それは自分たちの周りをのろのろと動き回っている「人間」というものなのか、あるいはもっと別のものなのかは判らないが、とにかくより上位の存在になるのだ、と。

前提知識を制限して憶測すると、トンデモない結論になるというのは世間でもよく観るところである。周りが猫しかいなくて、しかもそいつらが全部自分と議論すら出来ない低レベルだったらそういう結論になってもおかしくない。そして、そのミュータント子猫は猫なりの冒険をするのである。でかい黒犬と戦ったりして(このへんは記憶が曖昧なので間違っているかもしれない)。その戦い方が結構カッコよくて、猫パンチで一撃した後テレポートで相手の攻撃をかわしたりする。あれはSFであった(笑)。

ま、実際の猫はたとえ天才だったとしても何もしないだろうとは思うのだが。あれほど怠けるのが絵になる動物というのは他にいない。家猫ならではである。本来は獰猛な肉食動物なんだけどなあ。
ただ、やはり猫になりたいとは思わないけどね。天才猫でも嫌だ。ああいう悟りきったような生活は、私は耐えられない気がする。こっちが人間だから猫がよく見えるのであって、猫になってしまったらもうどうしようもないだろう。どうもしようとしないとは思うが。

ちなみに、思い出の猫漫画といえばやはり竹本泉の「ねこめーわく」であろう。猫でSFをやろうとしたら、ああなってしまうという実例である。しょせん猫は猫なのだ。猫はいいなあ。

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